■私(39パパ) の紹介(学生編)
私は静岡県静岡市で生まれ高校卒業まで過ごしました。
●幼少の頃
知的障害のある弟を母がほぼ毎日病院に連れて行っていたので、小学校低学年の頃の放課後は家で一人で暇と闘っていました。
当時はインターネットもなく、TVも多チャンネルではなかったので私の暇つぶしランキングは、
1位 国語の教科書を丸暗記して、一人芝居
2位 算数の公式を考える
3位 社会や理科の内容でクイズを考え、自分に出題し自分で答える
誰よりも勉強していました。
勉強で暇をつぶすしか無かったので・・・・。
カワイソウ・・・。
今の時代に生まれていたら間違いなくYoutubeとフォートナイト三昧だった、と思います。
●中高生の頃
小1からずっと剣道をしていたので中学は剣道部。
高校は テニス部 で爽やか路線に転向を試みましたが、テニス部の仮入部期間を終えた本入部初日に、
剣道部の怖い先輩が「もうテニスは満喫したよな」と連行され剣道部に即入部。
剣道部顧問の先生にも「お前、遅いよ。」と鬼歓迎(泣
熱烈オファーで入部したので先輩たちからは大人気。
毎日の練習後には3人の先輩がいつも僕を気にかけてくれて、買物のお仕事をくれたり、マッサージの練習をさせてくれたり、動けなくなるまで筋トレをしてくれたり。
月に1度の練習休みの日も、3人の先輩が交代で僕を市内の中心部に呼んでくれて、自分では絶対に着ない洋服を試着させてくれたり、激辛たこ焼きをサプライズして泣かせてくれたり。
誰よりもマルチタスクをこなして忙しい高校生でした。
「やらない」という選択肢はありませんでしたから。。。
●大学生
大学から東京で一人暮らし。
とにかくバイトを沢山やりました。
すぐクビになっちゃうので。。。
アジアンカフェ(1ヶ月)
皿を同時に沢山持てずにホールを1週間でクビ
先輩と揉めてドリンク運びを1週間でクビ
2階席から落としてしまったフォークが1階のお客様の靴に刺さりテーブル片付け係を1週間でクビ
皿洗い係も、「オレタチノシゴトヲトルナ」と外国人スタッフのクレームになり退職
コンビニ(1ヶ月)
1ヶ月でクレーム10件たまり退職
パチンコ店(1ヶ月)
「893」と「半分灰色の若者」がホールで揉めだして、「お客さん、そういうのは外でやってよ」と追い出したら店長に怒られてクビ
他にもありますが、これ以上書くと泣きそうなのでここらへんで。。。
とにかく働く=お金をもらうでしかなく、働く楽しさが見いだせないダメな奴でした。
●就職活動
大学4年生の春。第一志望の会社でOB面談をしまくり、
会長含む役員の半分と何度も食事をご馳走になるまで関係を温めたが、最終役員面接で不採用。
世の中にはスキルやコネで自分よりも必要とされる人間が沢山いるんだ、と気づき、1日も早く社会に出なくては、と思い就活を止めて在学中から会社で働くと決めました。
●大学4年生の夏~冬
就職活動中に出会った人のツテでNTTグループに契約社員として週3日勤務を始めました。
まだインターンがそれほど盛んではなかった時代でしたので、とてもラッキーでした。
都市開発案件をコンペで勝ち取るチームの部署に営業アシスタントとして配属されましたが大学生活をダラダラと過ごしてしまった私はPCも超初心者のポンコツでした。
当然、社員の方々からは「何でこんな使えないヤツがいるの?」という白い目で見られていました。
当時は今のようにPC操作マニュアルもネットに転がっているような時代ではありませんでしたので、ワード、エクセル、パワーポイントのマニュアル本を購入し、オフィスのあったビルのフロアの担当清掃員に頼みこみ、男子トイレにマニュアル本をこっそり隠させてもらいました。
仕事中にPCで分からないことがあればトイレに駆け込み、マニュアル本を読みデスクに戻る、を繰り返す毎日でした。
時々マニュアル本を隠している場所にお菓子が置いてあり、清掃員の方の無言のエールに励まされました。
「便所飯」の先駆者は自分であるとこっそり思っており、私にとって「便所飯」は決して悲しい食事ではなく、涙が出る程に嬉しい熱い飯でした。
当時、まだ将来やりたい事も見つかっていませんでしたが、
いつかやりたい事が見つかった時のために、とにかく実力をつける、という目標だけ決めました。
●大学卒業間近 「行動を起こす!」
大企業で大型案件を手掛けるロマンも良かったのですが、社長の顔が見える会社で働きたいと思い大学4年の3月に就職活動を始めました。
当然どこも新卒採用を終えておりましたが、数社が面接をして頂き、NTTでの経験を評価いただき幾つか内定を頂きました。
行動を起こすことの大切さを実感しました。